朱雀錦
(13)寿司材/酢
 
                            坂本醸造(株)の壺畑

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    Ⅰ.酢の歴史
1.世界の酢

酒の歴史は、古く人間の歴史と同じくらい古いと言われている。「酢」と言う字の「酉」は熟成の意で、「酒」と言う字の中にもある。 酢は古代は「苦酒からさけ」とも呼ばれ、酒の一種と考えられていた、また、ヨーロッパでも、例えば英語のヴィネガー(vinegar)はフランス語のビネーグル(vinaigre)が元で、これはvin(ワイン)とaigre(酸っぱい)の合字である。このように酢はどこの国でも酒の一種あるいは酒の熟したものと考えられていた。
 酢の歴史も酒の歴史と同じくらい古くからあったと考えられる。1万年前からあったと言う説もある。最も古い酢の記録は紀元前5000年のバビロニアの記録と言われ、当時バビロニアではナツメヤシやブドウ酒やビールから酢を作ったといわれている。 
 古代ローマの「アピキウスの料理書」には、しばしば「ブドウ酒」や「酸味ブドウ酒」登場する。今日のブドウ酒は酸味を有するが、古代のブドウ酒はもっと酸味の強いものだったと考えられている。
 この「酸味ブドウ酒」は新約聖書のキリストの十字架での臨終の場面に登場する。
『そこに酸っぱいブドウ酒が入れてある器がおいてあったので、人々は、このブドウ酒をイエスの口元に差し出した。すると、イエスはそのブドウ酒を受けて、「すべてが終わった」と言われ、首をたれて息をひきとられた』(ヨハネによる福音書)とあり、この「酸味ブドウ酒」はキリストが最後に味わった味だと言う。
 ギリシャ・ローマ時代には調味を使う料理が盛んになり、今日の西洋料理の原型が形づくられた。紀元1世紀の人アピキュウスが書いたと伝えられる「料理書」によれば、当時「ガルム」(ギリシャ語)と呼ばれた魚醤(魚と塩とともに発酵させてつくる発酵調味料)が盛んに使われたが、この魚醤は強い加工魚介類臭を持っているため、その消臭を兼ね香辛料、ブドウ酒や酢も同時に多く使われた。今日のサラダのように野菜を生で食べることはこの時代から盛んに行われるようになった。
 ローマ時代初期の学者Casto(前234149)は西洋で最も古い農業書の一つである「農業について」の中で、キャベツを大いに食べることを進め、「キャベツは煮ても生でも食べられる。生で食べる時にはちょっと酢をつけてたべる。 消化が驚異的によく、下痢、利尿剤としても優れている。キャベツを切り、洗い、乾かし、塩と酢で味をつけたものを食べたら、それ以上健康に良い食べ物はない」と言っていう。
クレオパトラ(前6930)がアントニュウスと「1回の食事で100万シスタセスの財産を使い切ることが出来るか」と言う賭けをして、真珠をビネガーに溶かして飲んだ、と言う話が有名で、当時の人が、酢が真珠や石灰石を溶かすことを知っていた証拠とされている。
 また、15世紀後半に始まる大航海時代には、長期の航海の間に新鮮な野菜や果物が欠乏して、ビタミン類の欠乏による疾病、ことに壊血病が船乗りの大敵となった。この他にも壊血病は戦争中や長い投獄などでも観察され、クリミヤ戦争(185356)ではフランス軍だけで23,000人の兵士が壊血病にかかり、アメリカ南北戦争(186165)では死者の15%は壊血病によると言われている。
 
16世紀は壊血病に対する予防策が積極的に講じられ始めた時代でもあった。 ビネガーに種々のスパイスや野菜や果物などを漬けることが盛んになり、「抗壊血病ビネガー」と言う飲み物が考案された。
 近世になるとフランス料理の発達のなかで、ビネガーはなくてはならぬ調味料となり、更にウスターソース、マヨネーズ、サラダドレッシング、トマトケチャップなどの新しい調味料が発達するが、全てビネガーをベースにするものであった。
* 参考文献;飴山實編「酢の科学」、中山武吉著「酢とすしの話」

2.日本の酢
 わが国における酢の由来を考えると古くは縄文時代の昔に中国大陸から稲作農耕技術とともに酒造技術が伝えられた。古墳から酒槽さかふね(酒を発酵させる容器)や酒器類が見出されていることから。稲作農耕によって得られた米は主として米飯として食する他に酒の醸造に供されたと考えられる。 
 
古い時代の日本の文化は中国大陸から導入されたものが多い。酢についても、特に米酢よねずの製造は酒の製造とほぼ同時に伝来されたと考えられる。平安時代の辞書「和名抄」には「酢」について「俗に苦酒という、…酢をカラサケなすはこの類である」としている。これは平安時代すでに中国から伝来した酢が一般に用いられていた証拠であろう。そうだとするとおそらく遣唐使または中国の留学僧によってもたらされたのであろう。第一回の遣唐使の出発が630年だつた点から推定すると7世紀の前半に酢の製法が伝来したことになる。大宝律令(701)のなかの職員令を見ると「造酒司1人、醸酒または醴あまざけ或いは酢のことを掌る」とあるが、これも7世紀伝来の有力な資料といえる。
(1)平安時代の酢
  延喜年間(927)に編纂された「延喜式」の造酒司のところに「酢1石(180ℓ)を作るためには、米6斗
 9升(
124.2ℓ)、よねのもやし(麹)4斗1升(61.5kg)、水1石2斗(216ℓ)を用いる。6月に仕込み、
 10
日目毎にかもし、これを4度にしてなる」と米酢の作り方が記されている。原料の使用割合まで記した我が
 国最古の記録である。壷酢、「宇津保物語」に
10石(1.8kℓ)入るような瓶かめ20個で酒を造っている。酢、
 醤ひしお(なめ味噌)、漬物も同じ壷で造っていると記されてあり、当時の豪族が酢を壷で造って自給自足し
 ていたと記されている。 

(2)いずみ酢
  中国伝来の造酢技術は鎌倉時代、南北朝、室町・桃山の各時代を通じて、主として和泉国で引き継がれた
 が、この地が我が国の酢の主産地であった。この醸造法は江戸時代になって相模の中原、駿河の善徳寺、尾
 張の半田などに「いずみ酢」として伝わっている。「本朝食鑑」によれば次のように記されている。酢は、
 諸州の家々で盛んに造られている。昔から和泉酢を上質とし、多量に生産し地方へ販売している。3年以上
 経過・熟成したものが一番良い。色は酒のように濃く、味は甘くて甚だ酸っぱい。近頃、相模の中原で造ら
 れるのが一番で、次いで善徳寺や田中ものがある。

  秋に収穫した稲をモミのまま甑こしき(蒸し器)に入れて蒸し、乾燥してから打ち篩って得られた白米1
 升をややこわい程度に炊く、仕込みに使う壷の底に、あらかじめ「まじない」として堅炭1本と鉄釘1本を
 入れておく、温かい飯を壷に入れ、水を加えて浮き上がらないように、よく押さえつけておく。次に水1斗
 8升(
32.4ℓ)、麹6升(9kg)を加え、厚紙で内蓋をし、さらに木の外蓋をして、柿渋を塗った紙で目貼り
 をする。
 温かい日なたに7~8日間放置する。昼間は外蓋を外して通気し、夕方には再び外蓋をする。雨
 の日は外蓋をかけたままにしておく。この操作を繰り返して内容が酸っぱくなってきたら、そのまま翌年の
 2~3月まで放置しておく。 

  春になったら濁りを布袋で濾し、濾液を5~6月頃まで放置して、滓が沈降するのを待って瓶に詰め、と
 ろ火で1~2回煮て滓を除き、瓶に入れて屋内の涼しい場所に貯蔵する。瓶は半分くらい土中に埋めて温度
 の変化を少なくし、秋の彼岸ごろに酢ができる。約1年かかる。

(3)六月酢
  江戸時代の「本朝食鑑」には「六月酢」というものが記載されている。「いずみ酢」を造るには長い月日
 を要するため、醸造期間の短縮が図られたためであろう。6月に仕込むのでこの名がつけられた。夏に仕込
 むので、早く酢が出来る。夏の土用の内に玄米1斗(
15kg)を炊いて桶に入れ、麹6升(9kg)、水2斗5
 升(
45ℓ)、を加えて仕込み、7日ほど経過したとき、すのこを差し込んで酢を汲み出す。滓にさらに粳米
 2升(3
kg)を粥にして温かい内に加え、酢になったら上澄みを汲取って「二番酢」とする。
(4)万年酢
  「和漢三才図会」「日本歳時記」「本朝食鑑」などには「万年酢」と言うものの記載がある。造り方はお
 よそ次のとおりである。酒と酢と水を等分に混合して瓶かめに入れ、堅炭のおき(赤く熱した炭火)を投入
 して、火が消えたら炭を取り出し、直ちに瓶の口を密閉して温暖な場所に置く。夏の土用中ならば瓶のまま
 外に置き炎天にさらしておく、
3040日で酢が出来る。出来た酢を盃で一杯汲み取って使った場合には、盃
 一杯の酒を瓶に補充する。毎回このようにすれば瓶の中の量はいつも変わらず尽きることがない。 

(5)壷酢(福山酢)
  中国から伝わった米酢の製法、いわゆる「いずみ酢」が鹿児島県一地方に古くから伝わり、現在もその技
 術が受け継がれている。この地方とは鹿児島県姶良郡福山町である。およそ
200年前、福山の商人竹之内松
 兵衛が大仕掛けに酢の製造を始めた。「本朝食鑑」によれば相州(神奈川県平塚市)の中原酢の製法を受け
 継いだと推定されている。福山酢は酢の代名詞でもあり、この酢を数年間熟成して着色が進んだものを黒酢
 くろす
とも言った。 順調に発展をつずけてきた福山酢も昭和初期の酢酸合成の合成酢の出現、更に第二次世
 界大戦中の米穀統制により原料米が途絶え、一次
22軒もあった業者が4~5に減った。ところが昭和60年台
 の自然食ブームにのり、健康食品として注目されるようになった。

 * 参考文献;中山武吉著「酢とすしの話」;飴山實編「酢の科学」

Ⅱ.日本の酢の使い方
 1.古代
 古代からの日本人の食生活は、二つの点で大きな特徴がある。一つは奈良時代に肉食禁じられたため、魚類を第一とする料理文化が発達した。 
 壬申の乱に勝利を治めて飛鳥に都した天武天皇(675687在位)は即位して4年目に詔令を出して肉食を禁止した。詔令のポイントは2つあり、①牛、馬、犬、猿、鶏の肉を食べてはいけない。②野や山で狩猟をしてはならない、というもので、飼育動物と野生動物全てにわたって食用を禁止した。
  勿論当時の肉食の習慣は根強く、その後数回にわたって別の天皇による補足的禁止令が発布され、奈良時代をへて平安時代には少なくとも公の席では肉食は姿をけしていた。
 一国の君主がこれほど広範囲にわたり食生活への干渉をした例は珍しく、その意図については仏教の教義の厳格な励行と考えられる。しかし、仏教の祖地であるインド、直接の導入国である中国での実情とは異なっている。このため、日本料理はその成立の時期にかけて、料理の洗練は魚介類、ことに魚を料理の最高の素材として進むことになった。古代には魚介類は真の副食物という意味で「真な」と呼ばれ、これが後世まで宮中言葉として使われた。しかも当時、日本の首都は奈良も京都も内陸部にあり、夏期には新鮮な海魚類は望めない状態だった。そのため、生の魚介類を特に尊いとする嗜好が徐々に定着していった。その結果、季節を問わず新鮮な状態で入手できる淡水魚が貴重なものとされるようになった。 
 こうして日本料理は、その出発点において、淡水魚の生食と加工海水魚への嗜好を高めていくことになるが、そうした中でわれた調味料は多くはなかった。平安時代の貴族の宴会のメニュー図(略)を見ると、当時は煮物などの調味料理は殆どなく、それぞれの客の手元に醤、塩、酢、酒の小皿が置かれ、「四種器しすき」と呼ばれていた。客は干し物や生物をこれらにつけて食べた。平安時代貴族の宴会、正客用(1116年・略)『唐菓子[「かつこ」「桂心けいしん」「てんせい」「びら」]、木菓子[「梨子なし」「干棗ほしなつめ」「小柑子こうじ」「XXやぶなし]、干物[「干物置蛇あわび」「干物蛸たこ」「干物千鳥」「干物楚割すわやり」、生物[「雉きじ立盛」「鯉鱠こいなます」「鱒ます立盛」「鯛たい立盛」「貝蛇あわび」「栄螺子さざえ」「コミモムキ」「海月くらげ」「海老鼠ほや」「蝙Xかわほり」「小Xしたたみ」「蟹Xかに」、「白貝おふ」「石陰子かせ][石華ところてん][雲丹うに]、四種器[][][][][]』(33種)1.3(略)平安時代貴族の宴会、主人用『[梨子][ 干棗ほしなつめ][干鳥][ 楚割 すわやり][][きじ立盛][蟹かに][ 海月くらげ][支子盛][][]』(11種) そうした食法の中では、酢が大変魅力的な風味を提供したことは、容易に察しられよう・ 生の動物の肉を酸味で食べるのは日本古代の独創ではない。中国では生肉を細く切った「膾」が大変好まれていたが、日本では獣肉類の食用が禁止されていたため、魚が利用されていたため、「鱠」と書いて「なます」と読んだ。「なます」は酢を使った日本最古の料理である。
 塩、酢、酒、醤しょう(あじ味噌)が四種器として宴会の際の卓上調味料として重要視されてきたが、当時は生客、陪席の公家たちの三位以上と四位以下、それに主人で料理の数が異なっていた。それだけではなく、四種器が揃っているのは正客の前だけで、三位以上の陪客には酒がなく、それ以下の人々には醤がなく塩と酢のみがおかれた。

2.鎌倉時代
 源頼朝は建久元年(1190)に初めて京へ上り、院や朝廷に参内したが、途中遠州の菊河の宿に泊まった日、土地の守護佐々木盛綱が鮭の楚割すわやりを贈った。 頼朝は大変喜び「待えたる人のなさけも楚割すわやりのわりなく見ゆるこころざしかな」と言う自作の歌を送った。 楚割は魚の干し肉を細かく裂いたものといわれ、質素な武士の食生活を物語っている。
公家たちの勢力はこの時代になって急速に衰えていったが、公家たちは王朝の栄華が忘れられず、「有職故実」の研究が盛んになり、飲食の作法や調理の仕方は一層やかましくなった。
公家の正式の食事は、一例によれば「一献 蟹蜷かうな(カニ・二ナ貝)、老海鼠ほや、酢、塩 二献 焼蛸、蒸蚫あわび、楚割」となり、公家が武士にふるまいをするときは、これを簡略して「打蚫、海月くらげ、酢、塩」となり武士の酒肴は「打蚫、海月くらげ、梅干、酢、塩」といったものだった。
 以上の例はすべて干し物が使われているが、その一方では、依然として鱠が楽しまれている

3.室町時代
 この時代は、漁業や商業の発達によって、海産の鮮魚が多く出回るようになった。京都六角の魚鳥市、淀の魚市など、都市には魚を扱う卸売り市が開かれ、一般の市場でも、魚座がつくられて、魚類の流通は盛んになった。
 
この時代に始まったとされる「魚軒ぎょけん」がある。一説によれば魚肉を大きく切った物で、小さくなったものが「生酢」と呼ばれたと言う。一方、室町時代の国語辞典「節用集」や「四条流包丁書」、「大草家料理書」などには「刺身」について述べられている。古代の鱠は魚肉を細く切ったものだったが、今日のような鱠は室町時代からであろうと言われている。今日に続く鮮魚介類の料理は戦国時代から安土桃山時代にかけて始まったと考えられている。魚軒は室町時代には、スズキ、カツオ、キジ、カモ、ガンなどで作っていたが、江戸時代にはこれらにクジラ、タイなどが加わり、コイの水作(あらい)やナマコの細づくり、タイの小ダタミ、タイの霜降、カキタイ、カツオの小川タタキなどがあった。 た魚や鶏肉の「酒浸さかびて(酒、塩、酢でつくる)」もあり、魚鳥料理は大変多彩になって行った。
「四条流包丁書」にも、コイ、スズキ、フカ、エビ、カレイ、キジ、ヤマドリの刺身が記載されており、また、アワビを切って塩でもみ、水で洗ってから和える料理もあった。 これらはすべて酸味で賞味されたであろう。「四条流包丁書」には「一、美物上下之事、上ハ海ノもの、中ハ河ノ物、下ハ山ノ物」とあり、鎌倉時代と比べると、海魚類と川魚類の地位が逆転している。 しかし、「河の物を中に致たれども、鯉に上をする魚なし」とあり、コイは依然として第一位を維持している。 これは、四季通して生体が得られる大型魚として、包丁式をはじめとする調理や食法の故実が尊ばれるなかで尊重されたからであろう。
一方、鎌倉時代以後の調味料の変化は味噌の重要性の増大に有ったと考えられる。味噌は古代から、各寺院で必要なだけは自給自足していたと考えられる。 弘安41283)年、鎌倉の円覚寺では、1年中に使う調味料のための米の配給を幕府に上申しているが、その内訳を、酒と酢の原料に36石、味噌の原料として48石としている。調味料の使い方が、「四種器」に見られるような卓上型から、煮物などの調理の段階でも使われるようになり、また公家や僧侶や庶民の日常の食生活のなかで味噌が好まれるようになり、味噌や後に生まれる醤油などの塩味の醗酵調味料が重宝されるようになって行く。
 室町時代には、酢を不可欠とした公家の魚鳥の料理と僧侶の精進料理とが混じり合って、鮨や」鱠などの古代からんの食べ方と並んで、魚の煮付け、麩、こんにゃく、豆腐などを使う煮つけ、油揚げ料理などがうまれた。もとの「四種器」とは使い方が違って味は調理の段階で殆どが決まりかっては「切る」ことに重点が置いていた料理人の腕は味付けにも要求されるように成り、その比重は段々大きくなっていった。 そしてここから江戸時代の「本膳料理」へと歩みが始まった。
 慶長年間(15961611)の初めころ朝鮮の通信使として来日した黄慎の日記の中で日本の食事を「毎飯三合米、菜Xそこう(菜の吸い物)、魚鱠なます、醤X(野菜の煮つけ)数三品に過ざるのみ、鱠また極めてXそこう(あらくかたい)にして、小指大のごとし、一様ただ5,6条をもり、酢をもってこれを和す」とある。 今日の刺身の切り方とは少し趣が違い、ほぼ古代からの鱠の形が残っているものと考えられる。 文章の調子からかなり粗悪なものと感じたようである。 しかし、これが他の国の正使の食事だったわけで、当時の日本人にとって、けっして特に粗末なものではなかった。

4.江戸時代
 江戸時代には、食生活が豊かに、文化的にも爛熟した。代表的な日本料理に本膳料理がある。本膳料理は室町時代に確立された武家の礼法から始まり江戸時代に発展した形式。鎌倉時代「垸飯おうはん」と言う正月に御家人から将軍に料理を献上する儀式があった。当初は鯉一匹など簡単なものであったが、室町時代になり武家の経済的政治的優位が確立し、幕府政治の本拠地も公家文化の影響が深い京に移るにいたって、料理の品数も増え、料理自体にも派手な工夫が凝らされるようになった。特に室町幕府の将軍を接待する「御成」(宮家・将軍など、高貴な人を敬ってその外出・到着を言う語)が盛んになってからは次第に宴会料理の形式が整えられここに本膳料理が成立したと考えられる。
本膳料理の基本は、一汁三菜にある。一汁三菜の内容は、飯、香の物、なます、煮物、焼物であり、飯と香の物は、数えない。こうして見ると料理の数が4品になる。「4」と言う文字について、これが「死」と同音であることを忌み嫌い、一汁三菜という分割した呼び方にしている。日本では奇数を陽とし、偶数を陰とする思想があった。このため、一汁三菜、一汁五菜、二汁五菜、三汁七菜、三汁十五菜まであるが、一汁四菜はない。膳は、高さ40cmの高足膳を用いる。膳の配置は必ず、まず、本膳を膝前に置き、二の膳を右側、三の膳を左側に置く。しかし、明治時代以降は廃れし まい、現在では結婚葬祭などの儀式的な料理にその面影が残されて程度である。
室町時代には、日本で始めて「醤油」の文字が文献に現れています。この頃より「醤油」の工業化も始まったと考えられる。日本で最初に醤油を販売したのは紀州・湯浅です。その後、江戸時代に入ってから、産業として大きく発展した。こうした、醤油の完成とともに、魚の生食法は鱠から刺身へ、即ち魚介類用の調味料が酢(タデ酢)から醤油とワサビに変っていくことになった。
 * 参考文献;飴山實編「酢の科学」、中山武吉著「酢とすしの話」


  Ⅲ.酢の種類
1.酢の定義
 日本農業規格(JAS)の定義を要約すると、酢は醸造酢と合成酒の2種類に大別し、「醸造酒はアルコール又は酒類を酢酸発酵させたもので、氷酢酸または酢酸を使用していないもので、合成酢は氷酢酸もしくは酢酸の希釈液に醸造酒を混入した物」と規定している。
 さらに、図1に示すように醸造酒は次の穀物酢、果実酢、米酢、りんご酢、ぶどう酢に中分類して、それぞれの原料規格について規定している。
          図1 醸造酢の酒類(JASによる)
醸造酢┬穀物酢 原料の穀類は1種類でも2種類以上でも良く、1ℓについて
   │    40g位以上使われていること。
   ├果実酢 原料の穀類は1種類でも2種類以上でも良く、1ℓについて
   │    果実の搾汁液が300g以上使われること。
   ├米 酢 穀物酢であって原料の米の使用量が40g以上使われている
     │    こと。
   ├林檎酢 果実酢であって、原料のりんごの搾汁液が300g以上使わ
     │    れていること。
     └葡萄酢 果実酢であって、原料のぶどうの搾汁液が300g以上使われ
             ていること。
 この規定は、酢の性状や香味などについても規定し「主に酸度については酢酸として 4.0%以上含有されていること」を定義しながら、酢の種類によってもそれぞれ酸度の数値を規定している。例えば、穀物酢と称する時には酸度は酢酸として4.2%以上、また果実酢と称する時には、酸度は酢酸として4.5%以上でなければならないなどである。また、希釈して使用しなければならない高酸度の酢については希釈倍数の数値表示も規定している。
その他、醸造酢のすべてと穀物酢や果実酢、高酸度酢については無塩可溶性固形分(食塩を除いた固形分)の含有量についても規定し、また原材料については食品添加物、糖類、食塩、アミノ酸、酸味料、甘味料及び着色料などは使用許可の原料と食品添加物が決められている。

2.酢の種類
(1)主原料の種類による酢の分類
  今日、世界において広く普及している酢を原料別に挙げて見ると、米を原料として醸造した鮭をさらに酢
 酸発酵した米酢、りんごやぶどうを原料として醸造したりんご酒やワインを酢酸発酵したりんご酢やぶどう
 酢、麦を原料とした麦芽酢などがある。

  尚、わが国においてのみ醸造されている酢がある。 数年間貯蔵熟成させた酒粕の可溶成分を水で抽出し
 た液を主原料とた酢で粕酢または酒粕酢と呼んでいる。

(2)製造方法による酢の分類
  日本農林規格に見られるような醸造酢と合成酢に分類できる
(3)付加されるスパイスなどによる分類
(4)調味料などを添加して加工した酢
 * 参考文献;飴山實編「酢の科学」、中山武吉著「酢とすしの話」

  Ⅳ.酢の製造
1. 酢の醸造技術
 わが国の古書「延喜式」(927年)の造酢司の項において米酢の造り方として原料配合などについて記されている。これがわが国における最も古記録である。その記録には壷酢、いずみ酢、六月酢、万年酢などがある。
 第二次大戦後、世界的に化学技術が素晴らしい発達を遂げ、わが国やドイツにおいては新しい、通気醗酵法という醗酵技術が開発され、酢業界は急速に新しい技術による酢製造へと発展していった。 今日、わが国には静置醗酵法と通気醗酵法の両方が行なわれている。

2. 各種酢の製造方法
(1) 静置醗酵法
  この方法は表面発酵法または平面発酵法とも呼ばれる方法である。静置醗酵法はわが国の伝統的な技術で
 、木製の桶またはプラスチック製の発酵槽とそれを設置する建物があれば、醸することができる。小規模で
 の生産も可能であるため、今日生産されている酢の過半数がこの方法である。

 ① 発酵装置 木桶または陶器の壷が主であったが、今日では、これに代わって発酵監理が容易な醸造蔵等
  長方形の比較的浅い合成樹脂製の槽で容量
1003000ℓ程度のものが用いられていた。
 ② 静置醗酵の仕込み
   前回の発酵完了液を次の仕込みのために一部種酢として残し、予め別混
合層においてアルコールや原料
  液を所定量混合した仕込液を容易し、これ を加
温して発酵槽にいれる。3038℃に調節し、予定の配合
  値になっていることを化学分析により確認した後、最も盛んに酢酸発酵している発酵槽の酢酸菌膜を採取
  し、仕込み液の表面に移植して仕込み作業をおわる。

 ③ 静置醗酵の管理酢酸菌は超好気的な菌で多くの酸素を必要とするため空気の流通と温度の管理が重要で
  ある。仕込みをして数日を経ると発酵槽の表面の数
cmの深さまで3540℃を保つ。比重の軽いエタノー
  ルは上昇し、酢酸発酵により酢酸に変わると、比重が重たくなり沈む。酢酸発酵は液面で行なわれる。 
  夏は温度が上り過ぎないように、冬は温度が下がらないように管理する。

 ④ 貯蔵と熟成
   発酵液は一旦貯蔵槽に移され、1ヶ月以上貯蔵・熟成させる。 
 (2) 通気発酵法
  通気発酵法とは別名深部培養法または全面と呼ばれている。 図2及び3に見るように、撹拌機によって発
 酵槽内の発酵液を撹拌すると同時に、槽の底部または中
間部分より、気泡による通気し、撹拌翼によって更
 に気泡を細分化し、酸素の溶解
度(最高8ppm)を高める原理に基づいた装置。
 ① 通気発酵装置の概要
  酢酸発酵による酢の生産という現象は、酢酸菌によって液中の酸素を利用してアルコールを酸化して酢酸
 を生産することで、この生化学反応には 大量の酸素を必要とし、それに伴って非常に多くの熱量の放出が
 ある。この装置はこの点に重点を置いて組み立てられている。

  本装置の概要は、空気をエアレーターと呼ばれる高速撹拌機によって自給通気を行なうようにし、発酵液
 全体に細かい気泡を分散させる構造になっている。温度制御装置によってタンク内の蛇管に冷却水をとおし
 て発酵槽内の発酵液の温度を
3035℃に調節し、一定に保持していく。
 ② 操作
  まず、仕込みで供給する種酢は酸度の調整と同時に種菌の供給を目的としており、その量が多いほど酢酸
 発酵はスタートしやすい。 続けて仕込み時には、常に酸素欠乏状態にならないように、注意して通気撹拌
 を止めることなく発酵完了液を発酵槽に残したまま、予め用意した発酵栄養物やアルコールを含んだ仕込み
 液を速やかに注入して仕込みを継続させる。

 (3) 静置醗酵法と通気発酵法の相違
  通気醗酵法によって醸造された酢の場合は、生産性は静置法よりも高く、管理 も自動かされて労働管理面
 でも合理化されているが、反面では、その 品質において多少淡白なところがある。 わが国の酢の使途は
 主に日本料理であり、酢の風味を大切にした料理、換言すれば酢が表面に出ているような料理が多い。 他
 方西欧料理では、比較的煮込みなどの隠し味的な使われることが多いので、例え、酢酸の刺激が表面に出て
 いても、香辛料などによって被覆されているので比較的
使いやすい。
* 参考文献;飴山實編「酢の科学」、中山武吉著「酢とすしの話」
 

  Ⅴ.酢の食品成分
           表1 酢の食品成分(g100mℓ)

成分\種類

米酢

酒粕酢

りんご酢

総 酸

4.1~5.2(4.6)

3.6~5.5(4.6)

4.4~5.2(5.1)

4.7

不揮発酸

0.01~0.96(0.37)

0.02~0.88(0.22)

0.12~0.63(0.32)

0.11

アルコール

0.01~0.45(0.10)

Tr~0.63(0.18)

tr~0.46(0.17)

0.03

全 糖

0.3~13.9(5.0)

0.1~3.9(1.3)

1.2~5.2(2.6)

1.1

還元糖

Tr~9.1(3.0)

Tr~3.2(0.02)

0.1~4.8(1.8)

0.5

全窒素

0.01~0.18(0.04)

Tr~0.09(0.02)

tr~0.02(0.01)

0.03

アミノ態窒素

0.001~0.048(0.017)

0.003~0.076(0.008)

0.003~0.005(0.004)

 

エキス

0.7~13.8(5.9)

0.1~5.4(1.7)

5.0~5.6(5.4)

1.3

灰 分

0.05~1.75(0.72)

0.02~1.72(0.58)

0.07~0.15(0.10)

0.02

比 重

1.005~1.079(1.049)

1.006~1.032()1.018

1.01~1.03(1.022)

1.00

PH

2.45~3.22(2.70)

2.34~2.87(2.65)

2.75~2.99(2.87)

 


表2 酢の有機酸組成()

有機酸

 

酒粕酢

アルコール酢

リンゴ酢

ぶどう酢

麦芽酢

酢酸

4.1 ~ 5.1(4.2)

4.3

4.2

5.1

5.3

4.8

フマール酸

0.2 ~ 5.2(3.9)

4.0

3.2

0.4

4.0

4.2

αケトグルタミン酸

0.09~0.8(0.5)

0.8

0.05

0.5

0.1

0.1

乳酸

6.2 ~28.0(20.3)

20.3

19.0

3.6

5.5

40.3

コハク酸

2.4~ 21.2(14.1)

9.5

11.9

8.1

2.9

ピログルタミン酸

0.2 ~ 3.0(1.3)

35.0

 

 

 

 

グリコール酸

1.5 ~ 3.1(1.9)

4.3

 

 

 

 

リンゴ酸

0.1 ~ 0.7(0.5)

6.4

0.6

6.5

20.3

0.1

クエン酸

0.9 ~ 3.7(2.1)

3.1

1.9

26

20.3

0.07

酢の食品成分は表1に見られるように総酸量は日本農林規格によって規定されているために高酸度酢を除いては酢酸酸度は殆ど4.04.5%にあり、残留アルコールや全窒素、アミノ酸や糖質においては微量かつ大差がない。

1.酢の食品成分
 しかし、表1に見られるように、その少ないなかでも注目しなければならないのがエキス分である。 上限で見ると米酢では13.8%、ぶどう酢では9.7%と言う高い数値がみれれる。 酢なファッション性の強い調味料であるがここらへんに原因があるのかもしれない(中山武吉)。

2.酢の有機酸成分
表2に見られるように、酢酸の含有量はほぼ規定の量が守られている。その他の有機酸では乳酸が酢酸の100分の1程度で、その他は約1000分の1と非常にすくない。
 これはアルコール発酵ではかなりの量の有機酸が生産されるが、酢酸発酵を経過すると酢酸菌によって資かされて減少する。 これらの不揮発性有機酸は酢においては酸味の要因になるものでなくて、むしろ酢酸の強い酸味を緩和する役割をはたしている。

* 参考文献;飴山實編「酢の科学」、中山武吉著「酢とすしの話」

  Ⅵ.酢と健康
1.酢は調味料では貴重なアルカリ性食品
昨今、世間では酢の摂取は健康に取って非常に良いといわれるようになった。 食品の健康にとって善し悪しを言うのに「アルカリ性食品・酸性食品」と言う表現で評価されることがある。 
 かってご馳走と言われる食べ物には、一般に酸性食品が比較的に多いと言われ、不健康の元凶の様に言われてきた。 この観点で、健康の為にはできるだけアルカリ性食品を摂取するのが良いとされ、巷では今なおこの問題について関心がもたれている。
実際には、人体の体液のphは、普通に食べているような食事によって、たとえ酸性食品やアルカリ性食品を偏って多く摂取しても体内の調節作用で、すなわち人体のphに対して自ら調節する強い能力によって、多少の変動に対しては調節して防御する仕組みを具備し、正常値を常に維持することができるようになっている。 しかし、疾病などによっては多少変動すると言う現象もおこる問題である。 
(1)アルカリ性食品と酸性食品
  アルカリ性食品、酸性食品と呼ばれる理由は、食品に含ませる無機質の種類によって決められている。 
  Na
KCaHgイオンの様に水溶性になった時に陽イオンになってアルカリを生ずるものと、ClPO4
 オンのように陰イオンになって酸を生ずるものとがあり、含まれる割合によって前者の様に陽イオンの多い
 食品をアルカリ性食品と呼び、後者の様に陰イオンが多い食品を酸性食品と呼んで区別している。

 ① 血漿アミドーシスと血漿アルカローシス
   細胞内の水素イオン濃度は細胞外液の水素イオン濃度によって影響を受け易く、細胞活性はこのわずか
  な.変化によっても非常に敏感に影響される。 また、血液の
phは血漿のphにほぼ等しく、静脈の血漿は
  少し低い目であるが、反面動脈血の血漿はほぼ細胞液に近く平均
ph7.4である。 一般に細胞のphの許容範
  囲は
ph7.07.7と言われているが、ph7.0に傾くと血漿アシドーシス(平衡を酸性側にしようとする状態)
  になり、
ph7.7に傾くと血漿アルカローシス(平衡を塩基性側にしようとする状態)になると言われている
  。特別な病気による以上がない限り食事などによって大きく変化することは全くない。
しかし、酸性食品
  を摂取しすぎると細胞内液や血漿の
phが極わずかではあるが、酸性側に傾くことがある。
   その結果精神状態に落ち着きがなくなり、ストレスを受け易くなるという現象が起こることがある。

  が健康に良いと言う説の根拠は調味料の殆どが酸性食品と言われる中ですは唯一のアルカリ性食品という
  ところからきたものと推測される。

 ② 酢の疲労回復効果
   人体における疲労は、過激な運動をすることによって乳酸などのいわゆる疲労素と呼ばれるものが筋肉内
  に蓄積することから起こると言われている。 たとえばこれ等の疲労素は、平素は体内にある代謝酵素系
  の
TCA-サイクルによって順調に資かされるのであるが、過激な運動や強いストレスなどの後筋肉内の強
  大なエネルギ-代謝の結果、大量の乳酸やピルビン酸などのいわゆる疲労素の生成が起こり、資化しきれ
  ずに筋肉内に蓄積する。 そのため筋肉の収縮が起こり、筋肉に凝りを起こし、疲労という形で現れてく
  る
 醸造酢の中に含まれている酢酸やその他の微量の有機酸はTCA-サイクルの反応を活性化したり促進
  する作用を持っているために、これ等の疲労素をいち早く資化させるので疲労の回復が促進される。

 ③ 酢摂取による動脈硬化症の予防
    動脈硬化症はコレステロールが血管内膜に蓄積して起こる疾病といわれて、脳血管疾患や心臓病などの
  生活生活習慣病の原因となっている。 米食を主食としている日本人の動脈硬化症の原因としては、この
  他にもう一つあるとしている。 それは珪酸塩やカルシウム塩などの沈着が原因で起こる動脈硬化症のこ
  とである。 

    元東京大学医学部教授秋谷七郎氏はこれが原因になって起こる動脈硬化症の治療に関することで、酢や
  レモン汁などの摂取が珪酸塩やカルシウム塩の尿中への排泄を助長し、症状が軽減すると報告している。
  ④ 酢の殺菌、抗菌作用
    酢が食品の食品の腐敗を予防することは衆知のことである。 酢の主成分である酢酸による殺菌、抗菌作
  用は低い
phよるもので、その機序について山本泰氏は次のように報告している。 即ち「酢酸水溶液は解
  離し、酢酸分子と酢酸イオンとが平衡を保っていて、その中に微生物が置かれると酢酸分子が細胞内に浸
  透し、解離して酢酸イオン生成する。 細胞内の酢酸分子濃度が低下して細胞内の
濃度勾配がかわるため
  に再び外部より酢酸分子が細胞内に浸透してくる。 この繰り返しにより細胞内では水
素イオンが蓄積し
  、細胞内の
phは低下し、呼吸酵素の各酵素活性はは低下するために最近の生育が阻害される」というので
  ある。
菅野幸一氏の研究報告によると、…に見られるように酢の細菌類に対する増殖抑制作用は非常に強
  く、これが食品の防腐効果の要因となっている。 さらに、醸造酢とたの有機酸を比較して、細菌に対す
  る抗菌性を調べると …酢酸は種々の細菌類に対して強い抗菌効果のあることが証明されている。 これ
  を整理すると、
0.1%前後の酢酸濃度で多くの細菌類の増殖は停止し、0.40.6%ではカビや酵母類が増殖
  を停止し1%以上では細菌類は減少すると報告している。


   参考文献;飴山實編「酢の科学」、中山武吉著「酢とすしの話」


  Ⅶ.黒酢と健康
 今日酢の摂取が健康にとって非常に良いと言う事が世間で言われるようになって来た。坂元醸造では大学医学部や国立研究所等の研究機関と黒酢の生活習慣病に対する種々の効用にについて共同研究を続けてきた。 最近多くの生活習慣病に対する効用について広く医学・薬学・農学の各分野にわたった研究成果が学会等で発表されている。
(1)赤血球変形能改善作用
  人の細胞と直接に接している抹消の毛細血管は管径が約5μと赤血球の球径8μよりも細い。従って赤血
 球が毛細管が通過する時は、運動会の障害物競走で張られた網の下をくぐるように無理な形で流れている。
 若くて健康な人の血管の場合には、赤血球もそうであるが、血管も弾力性があってスムーズにながれる。し
 かし、中高年になると血管は動脈硬化を起こし、弾力性ななくなり、赤血球の流れが悪くなる。このような
 赤血球のしなやかさ、伸び縮みの良さの程度を赤血球変形能と呼んでいる。 

  換言すれば、赤血球変形能が改善されると、血液が毛細管をスムーズに流れ、細胞に十分な酸素を供給す
 ることが出来るようになり、細胞が活性化され、そのために血管を詰まらせるような血栓が出来にくく、心
 筋梗塞や脳卒中が起こりにくくなる。

  九州大学健康科学センター藤野武彦教授及び農林水産省食品総合研究所上席研究官菊池裕二氏研究で黒酢
 による赤血球変形能改善効果が確認されています。

(2)血圧調節作用
  愛媛大学医学部奥田拓道教授は「高血圧や低血圧の人が黒酢を摂取すると血圧が正常になったと言う体験
 談に基づき、動物実験でその効果を確認している。

(3)脂質代謝改善作用
  静岡薬科大学滝野吉雄教授は血清コレステロール値・中性脂肪値に対し黒酢の疫学的効果に 対し、動物実
 験でその効果を確認している。また愛媛大学医学部奥田教授も動物実験により総コレステロール値、中性脂肪産値及び遊離
 脂肪酸地が低下することを確認している。また九州大学健康科学センター藤野教授は、外来患者
20人に黒酢を飲用させた結
 果、総コレステロール
及び悪玉コレステロールが減少したことを発表した。
(4)抗酸化作用
  食品の抗酸化作用(活性酸素)は食生活では今日非常に大切な問題となっている。 黒酢には原料由来す
 るポリフェノール(優れた抗酸化性を有する)やメイラード反応によって生産された着色化合物等強い抗酸
 化作用を持つものが多く含まれている。 

  静岡薬科大学滝野教授は動物実験により血清コレステロールの低下を確認している。また、愛媛大学医学
 部奥田教授も動物実験により血清中の過酸化脂質の増加防止効果を確認している。

(5)血糖調節作用
  愛媛大学医学部奥田教授は動物実験により血液のph7.15の糖尿病ラットに黒酢を与えph7.35の正常値に復
 帰することを確認した。生体内
ph値は常に厳密に調製されて、細胞内はph6.8、血液はph7.357.45と非常に
 狭い範囲にある。 人体の
13%を占める細胞間質液だけがph6.87.3phに幅をもっている。

 九州大学健康科学センター藤野教授は、外来患者
20人に黒酢を与え化学検査により血糖値が101.8±4.7mg/dl
 から
90.4±6.7 mg/dlmまで低下し、約11.2%減少したことを報告している。
(6)肝機能改善作用
  鹿児島大学農学部藤井信教授は動物実験により肝機能改善効果を確認している。
(7)抗炎症・抗アレルギー作用
  (財)相模中央化学研究所天沢一良主席は、アレルギー反応に対しin vitroイン・ビトロ(試験管等人工的に
 構成された条件下)ではあるが抗炎症作用が確認されている。

(8)生体防御亢進作用
  生体においては、生体防御の基本要素の一つであるナチュラルキラー細胞(NK)活性はウイルス感染など
 によって生じた自己変異細胞を除去し、悪性腫瘍の発生を抑制する
重要な役割を果たしている。 鹿児島大
 学農学部藤井信教授は動物実験で
NK活性を調べ、NK活性が上昇することを確認した。

*参考文献;中山武吉著「酢とすしの話」

 

 

 

 

 

 


 

 


 

 
 

 


 


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